2025年3月14日(金)
昨日は娘の中学校卒業式でした。

この日は妻と二人で式に参加。
わが子の晴れ舞台をこの目で
見届けることができてよかった。
自身の中学生活3年間というのは
ワタシもはっきりと覚えており、
人生において大切な時間であった。

娘は私と同じ中学校に通っており、
過ごしてきた学び舎も歌う校歌も同じ。
大変に感慨深い。
妻と二人でこの15年間の思い出話に
花が咲く。
娘の命が宿った日、出産当日の
戦慄を覚える出来事・・・
娘は予定日よりも2週間早く生まれてきた。
首も座らないうちに勤務先の奸計に嵌り
住まいを追われて地元に戻った時の苦労や
その後の保育所選びに家探しや自宅新築。
わが子がこうして健康に育ち
今日の日を迎えたことを心から喜び
妻には感謝の気持ちしかない。
ありがとう。

実はこの日、わが子ともう一人、
卒業の門出を目に焼き付けておきたい
生徒が一人いた。
先述の通りワタシは出身地にいるので
同級生も多く生活しており、
お互いの子同士も同級生・・・という
シチュエーションも非常に多い。
そんな環境の中、2024年11月某日、
小学校からの同級生であり、
中学校の部活動も苦楽を共にし、
社会人になってからも楽しい時間を送った
同級生の女子が闘病の末、旅立った。
その彼女の息子さんも私の娘と同級生。
つまり親子そろって同級生なのだ。
子育ての途中、志半ばで旅立った友。
無念だっただろう。
彼女は余命宣告を受けて以後は
地元にある施設に入っており、
同じ部活動の友人たちと最後の時間を
濃密に過ごしていたのだそうだ。

わが子の門出を祝いつつ、
同じくこの日に卒業を迎えた
友人の息子さんの晴れ姿も
カメラでいっぱい撮影しました。
卒業証書を受け取り、壇上を歩く姿は
とても立派だった。
ちなみに中学の部活動グループLINEに
その子の証書授与の画像をアップしたら
別角度からの画像もアップされた。
この日、亡くなった同級生の代わりに
予定の合う別のメンバーが式に参加して
母親の代理として彼の晴れ姿を
お祝いしに駆けつけていたのである。

卒業式は無事に終わり、生徒は教室へ。
会場から保護者も退席。
最後のホームルームを終えた子どもたちは
昇降口から出てきて、自分のケータイで
同級生たちとの別れを惜しみ、
写真撮影に夢中となっていた。
件の彼は同じ部活動の仲間と一緒に
嬉しそうに写真を撮っている。
そうだ・・・あの時の私と同じだ。
亡くなった同級生とは部活が一緒で
全員が大人になってもこうして繋がり
今日という日を迎えているのだ。
最初は志半ばで旅立った彼女のため
母親がいなくなり、寂しいであろう
息子さんのため、写真を一杯撮って
あげたい・・
悲しい思いで溢れていましたが
ああして同級生たちと写真を撮り
今日立派に中学生活を卒業した彼を見て
「大丈夫だ。
この子もきっと、
強く生きていける」
そう確信しました。
私も当時の学生時代の絆に支えられて
今日の日を迎えているのだ。
彼もきっとそうに違いない。
人はみんな絆で支えられているものだ。
名残り惜しいがそろそろ時間・・・
となったので、件の彼に声を掛ける。
「今日はおめでとう!
おじさんはね、君のお母さんの
小学校のころからの友達で
部活も一緒だったんだ。
立派になったね!
お母さんもきっと天国で喜んでる
これからも元気で過ごしてね!
みんな応援しているからね!」
月並みな言葉でしたが
体の芯から振り絞った気持を伝えました
そして来月の高校の入学式も
同級生の女子たちが予定を合わせて
彼に付き添いで参加することになった。
門出を迎え、新たな生活に向かって
歩いていくわが子の今日の晴れ姿、
そして友人の息子さんの晴れ姿。
忘れられない一日となりました。
11月に天国へ旅立った友よ・・・
小学生のころからの付き合いだし
改まって言うのも照れくさいものだが
子育て頑張ったね。
息子さんは立派に卒業したよ。
もう一緒に過ごす事はできないけど、
小学校のころから泣いて笑って
同じ時間を過ごせて本当に良かった。
出会えてよかった。ありがとう。
息子さんも、きっとこの3年間で
俺たちと同じようにかけがえのない絆を
得ることができたのだと思う。
きっと強く生きていける。
これからも天国で
あの子を見守っていてね。